前回のブログで、日本人が性風俗に対して禁欲的なのは、明治維新後日本に入ってきた、西欧文化の影響という事を書きました。

今回は、この件について、もう少し詳しく書いてみたいと思います。

 

性風俗の歴史

 

明治維新により、それまで鎖国を続けていた日本は、世界に向けて開かれ同時に、西欧文化がどっと入ってきました。

文明開化の言葉が示す通り、それまでの日本文化は古いものと捉えられ、西欧文化に倣って、先進的な文化を取り込もうとしていました。

その中に、性文化、性風俗もあったのです。

つまり、それまでの性に対するおおらかな考え方は古く間違っているものとされ、西欧の性文化が正しいものとされたそうです。

 

では、その当時の西欧諸国の性風俗はどのようなものだったのでしょうか?

 

一言でいうと、禁欲的な紳士淑女の文化と言えるでしょう。

とくに、淑女、女性に対する性文化の締め付けは厳しかったそうです。

もともと、西欧諸国に広がったキリスト教は性風俗に対して厳しいものでした。

「神の子」と言われるイエス・キリストは生涯独身でしたし、また聖母マリアは処女のままキリストを身ごもったとされています。

中世の多くのキリスト教神父たちは、独身で禁欲的な生活を送っていたそうですし、子孫を残すための生殖活動としてのセックスは認めていても、快楽としてのセックスに関しては避けるべきものとしていたそうです。

 

余談ですが、性的な事に厳しいというイメージのあるイスラム教は、実は性風俗にはそれほど厳しいわけではないのです。

イスラム教の開祖ムハマンド(モハメッド)は、妻を娶り、子供も残しましました。

また、教典(クルアーン・コーラン)にもセックスの体位に関する記述もありますし、ムハマンドの言葉の中にも「天国では男性は一日100人の処女とセックスが出来る」とあります。

ただし、婚外セックスや同性愛には厳しく、むち打ちや石打ちの刑などがあり、このことから、イスラム教は性に対して厳しいというイメージがあるようです。

 

さて、西欧諸国の性風俗ですが、禁欲的なキリスト教の教えもあり、ますます厳しいものとなり、快楽を伴わずに生殖活動をするにはどうしたらいいのかを真剣に議論するまでになったそうです。

特に19世紀の英国ヴィクトリア朝では、性道徳の厳格化が大変進んだと言われています。

 

では、なぜ西欧諸国は性風俗に対して厳格なんでしょうか?

 

西欧諸国を旅行された方なら、ご存知かもしれませんが、多くの国には売春宿が存在しています。

中には、政府が管理する売春宿も存在します。

つまり、一方では厳しい性風俗の締め付けがありながら、もう一方では性風俗のお店が存在し、ポルノ雑誌が売られているという矛盾を抱えています。

 

これは、私の考えなんですが、厳しい性風俗への締め付けは、西欧諸国が男系社会だからではないのでしょうか?

 

つまり、男性に対する性風俗の締め付けというより、女性に対する締め付けのための厳格化と言えると思います。

男系社会において、古代は女性にいう事を聞かせる方法は暴力と法律でした。

しかし、中世から近代になり、暴力と法律での支配が難しくなったため、ジェンダー教育と宗教的な敬虔さを使って女性の性を支配していたと思われます。

話が、ちょっと硬くなってしまいましたが、明治以降、日本は西欧から入ってきた性風俗に対して厳しい文化が広まり、それまでのおおらかな性風俗から、禁欲的な性風俗に変わっていったのです。

また、この風潮を助長したのが、大正時代から始まる富国強兵のスローガンに基づく、良妻賢母政策です。

 

このころの日本は西欧諸国に追いつくために、特に軍事力の増強に力を入れていました。

軍事力の一端を担うのが兵力。つまり、優秀な兵隊をいかに多くそろえられるかというものです。

そのため、結婚した女性の務めは、男子を産み、立派な男性に育てる事。

男子を産んだら女を捨てて母になれと、教育されたのです。

女性はみだりに性風俗の話をしてはいけない、おしとやかにしなさいという、考えがますます強まっていったのです。

 

現代になり、昔のような厳格な性風俗の締め付けは緩んできました。

しかし、まだまだ、性風俗、セックスに対する嫌悪感、タブー視は残っています。

 

セックスは、人類にとって大変重要なテーマです。

また、セックスは単に受精するだけの生殖活動ではありません。

もっともっと、自由に性の事が話し合える世の中になってほしいと、私は思っています。

 

このテーマ、大変難しいのですが、こちらのページもぜひご覧ください>>セックスってタブーなの?

 


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